やっぱり開発者っていいなと思った話。
超マルチバイトの宇宙人の存在
この宇宙のどこかに、マルチバイトを超える超マルチバイトの宇宙人がすんでいる。
人じゃないかもしれない。生物でもないかもしれない。意思疎通する何かしらの概念かもしれない。
ここではその人たちのことを「超マルチバイト人」と呼ぼう。
人類と異なる点
「超マルチバイト人」も人間と同様に、音(言葉)や光(文字や身振り手ぶるり)で意思疎通の伝達をしていたとする。
人間世界と異なるのは、「辞書のページ数が薄い」ということ。
それによって何が変わるかというと、1文字で伝える情報量。
You と 貴方 とかの差ではなく、圧倒的な情報量が 1文字に詰め込まれる。
どのくらい異なるかというと、人間世界の小説一冊分の情報量を たった1文字 で表す。
例えば、1文字で表現できるのは、夏目漱石の “坊ちゃん” を読んで様々に沸く感情や見える情景を、だ。
「それ、『坊ちゃん』状態じゃん」っていう使い方をすると、もしかしたら夏目漱石の坊ちゃんを熟読している人同士なら、通じるのかもしれない。通常の意味での坊ちゃんとしても捉えられるし、坊ちゃんを読んだことのない人や、もちろん日本語がしゃべれない人には通じない。当たり前だ。
圧倒的に齟齬がなくなるのか、もしくは会話がカオスになるのか?
超マルチバイト世界で齟齬がないとしたら、それはかなりの社会の単一性(Unity)があるはず。
長くを共に生活する夫婦のあいだでは「ツーといったらカー」となる感覚がある。
人類から見ると「超マルチバイト人」の会話は全てツーカーで取り交されているように思える。
お天気キャスターが「本日は日中は晴れ間が広がりますが、夕方ごろから雲りでしょう」というのも、もっと短い一言で表せるということ。
超マルチバイト世界では、音声の言葉も人類よりもっと複雑な発音があるはずだ。例えば同じ「あ」でも440Hzのときの「あ」と441Hzのときの「あ」は全く異なる意味を持つのだ。
人間とは身体的特徴や機能性が著しく異なる可能性が大。
文章を短くするなら文字の数や画数や形が多いはずで、それを見分けたり、聞き分けたり、何というか、、感じ分ける能力?が高い。
そういった意思疎通のための「道具」の種類が人類より圧倒的に多く、緻密で、正確で、当たり前のように扱える個の集合体が「超マルチバイト人」だ。
齟齬をなくすために長文に
法律関係の書物にみてとれる。
単語や助詞の使い方をも明確に定義して、言語の方程式のように明確に意思疎通する必要がある。法治国家では。
治安に怯えて生活するのは嫌だし、食料も安定的に確保したいし、生活と心の安定をもとめるために、法治国家の仕組みを頑張って人間が生み出してきた。
異なる価値観を共有して平和に共存するために、明確に定義した言葉や文字で意思疎通を交わす必要があると思ったから先人たちは言語での取り決めを絶対的にしたわけで。
色々な考え方の人たちがいる多様性を認めたうえで、優しい世界を目指して。
長文である = 多様性が存在している
ということ。
日本国憲法は世界的にみると、とっても短い とテレビで言っていた。
共通の認識が血に通う、単一(に近い)民族だからだ。
多様性・ダイバーシティが重要であるという観点
言語においても多様性(ダイバーシティ)が重要であるという観点でも考える。
福岡伸一先生や落合陽一博士も語る多様性の重要性を訴える活動は、すごく優しさを感じる。
人をあやめてはいけない、つまり武力戦争をしてはいけない、から発展して、経済制裁も飢餓を生み出すかもしれないからよくない、全てはバランスの上で協議しよう、世界の資源は有限だ・・平和のためにああしようこうしよう、
と論理的に議論を進めてたどり着いた回答を、「超マルチバイト人」はDNAレベルで体に染みついているレベルで認識しつつ、その概念を一言で共有する。戦争する意味があるとかないとかの議論も無いのかもしれない。
超マルチバイト人は進化に進化を遂げた人類なのかもしれない。と、それぞれの宗教によっては圧倒的な嫌悪感を覚える文章の可能性がありますね。
ただ我々人類は多種多様な言葉(方言も含め)を跨いで視聴覚の壁も越えて、何とか頑張って意思疎通ようとし、異なる民族習慣感性の人たちが平和に暮らすために努力しようとしているはず。
多様性は大事だと認識しつつで、つまり言語もたくさんあって、辞書もおそろしく分厚いものであることが今のところ、人類では望ましい形、最善に落ち着いているんだと思われ。
世界はどんどん良くなっている。
昨今は人間自身が生み出した多くの優しいアプリケーションを使って意思疎通をスムーズに交わせる時代になってきている。
多様性の重要性を感じダイバーシティを尊重し、お互いが幸せや平和を感じることが出来るのであれば、もしかしたら超マルチバイトの必要性すらない世界に到達しているのかもしれない。
総じて私は、ツールやテクノロジーで世界の様々な”問題”と思われる事柄を解決しようと奮闘する開発者という仕事に就いていることを誇りに思う。
世界はどんどん良くなっていく。
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